人は苦悩に出会った時、もしも信仰心を持っていたらどの様な
対処の仕方が出来るか?
無信仰の場合と信仰心を持っている場合とを考えてみましょう。
- 神仏の導きを信じない闇に閉ざされた世界
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無信仰の人の生き方は神仏の導きを信じず、闇に閉ざされた 世界で悪戦苦闘を繰り返す生き方です。
苦悩に出会った時、解決できる程の力を持たないのに、 無茶苦茶に努力し、ついには刀が折れ、矢も尽きてしまう生き方です。
- 信仰と共にある光に包まれた世界
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一方は光に包まれた中で最善を尽くす生き方です。
信仰心があれば、たとえ苦がやって来ても、それを悲観的に とらえガックリとはせず、自分に課せられた神仏からの宿題 としてプラス思考になおし、発奮努力してより高い完成へ と努めてゆくようになります。“心配するより 強く強く信じるほうがいい。今、あなたの目前にある壁は
乗り越えられる人の前にしか現われない。越え方は必ずある!”より大きな飛躍へと挑む。目標は明日の自分です。 素晴らしい自己の目標を達成するために、今苦しんでいるのです。 だから、その苦は苦とはならない。それは喜びと感動につながっているのです。
- さて、あなたはどちらに心の安楽を求めますか?
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信仰とは、自分を中心とする小さなエゴの考え方から脱皮し、 自分の背後にある大きな神仏の心に目を向け、それに素直に 従って生きることです。
したがって、自分の思慮にあまる様な苦悩に陥っても、自分で右往左往しな がら悶え苦しむ事をせず、全てを神仏の、み心におまかせしたその上で、 最善の努力をする事なのです。苦悩に出会ったときに同じ解決の努力をしても、信仰心が有る場合と 無い場合とでは大きな開きがあるのです。
自らは何の努力もしない人には神仏は協力しません。
“いや違う。自分は努力をしている!”と言われる方へ、あなたは今までに過去世、
現世から引きずっているカルマ(業)について考えた事がありますか?
自分自身はケロリと忘れていても、知らず知らずの内に罪を重ねてしまっているものです。
その罪を深く懺悔しましょう。
そして全ての人、物に感謝をしましょう。それを日々続けている内にきっと
あなたの前に光明がさしてきます。
そして、あなたはたくさんの事に気付くでしょう。
“幸せって自分の足元に、たくさん転がっていたんだ! なぜ今まで気が付かなかったんだろう?”と。
そして、自然とたくさん笑顔が生まれるはずです。
あなたが笑っていると神仏も喜び集まり、人や物まで自然に集まって来ます。
とにかく神仏にモテる人に成って下さい。
